小国コンプレックスの塊?でウルグアイ人の
アルゼンチンに対する屈折した感情をご紹介しました。
今度はそれがより良く感じられた
あるコンサートでの出来事をご紹介します。
場所はソリス劇場。
ウルグアイで一番歴史のある由緒正しい劇場です。
内容はタンゴの神様Carlos Gardelに焦点を絞ったものでした。
<Carlos Gardel (1890-1935)>
カルロス・ガルデルは1930代に活躍したタンゴの作曲家、歌手、そして映画の役者。
それまで演奏が主体であったタンゴに「歌」という要素を取り入れたタンゴ界の変革者。
類希な容姿に甘い歌声で当時の女性ファンを魅了した。歌詞の内容は、失恋した男性の心情を扱ったものが多かったが、彼自身の私生活ではそういった問題はなかったようである。
44歳という若さで飛行機事故で亡くなったため、彼の存在そのものが「神話」となっている。
没後70周年にあたる今年、ウルグアイ国内では
様々なタンゴイベントが企画されています。
私達が行ったコンサートもそのうちの一つ。
ここで、「え、ウルグアイでタンゴ?」と思ったあなた。悲しいかな、ほとんどの方は
「タンゴ=アルゼンチン」と思っていらっしゃる。(アルゼンチンタンゴっていうくらいですもんね。)かく言う私もこちらに来るまではタンゴはアルゼンチンのものだと思っていました。
ところが、ウルグアイ人曰く
タンゴはウルグアイが発祥の地。
ここにおいてもこの二ヶ国はライバル心をむき出しにするのです。
タンゴの代名詞とまで言われる名曲「クンパルシータ」も
ウルグアイ人曰く、
ウルグアイが発祥の地。
でも当然アルゼンチンはそれを認めません。
(クンパルシータを聞きたい方は
コチラへ)
そして先述のガルデルもこの二ヶ国の狭間で揺れているのです。
「生まれはフランスのトゥールーズ。その後シングルマザーだった彼の母親が彼を連れてアルゼンチンに渡った」というのが通説なのですが、ここでウルグアイ人は
「待った!」と言います。彼らによると、ガルデルはウルグアイのTacuarembo(タクアレンボ)生まれ。したがって当然ながらウルグアイ人であると主張するのです。(一緒に写っているのは彼の母親の写真)
コンサートでもこのことは繰り返し強調されました。
タンゴが演奏され、ダンサー達がステップを踏むのですが、
その合間に解説が館内に流れ、朗読者が繰り返すフレーズは、
Nuestro Gardel(我々のガルデル)
Nuestra Cumparsita (我々のクンパルシータ)
Nuestro Tango (我々のタンゴ)
でも面白いことにこれらのフレーズが繰り返されるたびに
観客は「含み笑い」
頑張って自己主張しながらも、一歩引いて物事を見るニヒルさが
ウルグアイ人にはあるようです。
ガルデルがアルゼンチン人にとっても、いかに重要であるかは
こんなサイトを見るとよく分かります。