次に訪れたのがラノ・カウ火山の
頂上付近にある「オロンゴの儀式村」
19世紀の終わりまで続いた
「鳥人の儀式」が行われた場所です。
海側は断崖になっていて、
眼下には一直線に並んだ3つの島、
手前から「モツ・カオカオ」、「モツ・イティ」
「モツ・ヌイ」が見えます。
ここでは鳥人儀式のために
戦士が寝泊まりした岩屋や
岩に刻まれた鳥人の絵が
多数見られます
17~18世紀に部族間の戦いでモアイ信仰は衰退し、代わりに島の最高神であるマケマケ神への信仰が深まりました。イースター島は貴族、神官、戦士、召使の4階級からなる階層社会でした。モアイ倒しを行った内戦期に実力をもつようになった戦士の階級が始めたのがこの鳥人信仰です。
貴族階級の祖先像であるモアイの崇拝ではなく、
マケマケ神の化身であるとされる
鳥人の信仰にともなう儀礼を行うようになりました。
鳥人はタンガタマヌと呼ばれ
頭部が鳥で人間の身体を持つとされました。
このタンガタマヌを決めるために毎年行われたのが「鳥人の儀礼」。
各部族がホプ・マヌと呼ばれる戦士を代表に出し、
戦士たちは儀式のために特別な食事を採り、
全身を土でペイントし、オロンゴの300mの断崖絶壁を下りて、
2キロほど離れたモツヌイ島までサメの住む海を泳いで渡りました。
島に着いたら、マヌタラ(グンカン鳥の一種)が
島に渡ってきて卵を産むのを何日も待ち
やがて卵を手にして再び島まで泳ぎ帰りました。
戻ってきたきたホプ・マヌから、最初に卵を手渡された
部族の族長がタンガタマヌとなり
その年の島の宗教、政治の実権を握りました。
功労者であるホプ・ヌマも、
島の軍事組織を取り仕切る資格を与えられたとか。
ただし、この役割はあくまでも一年間のみ。
再チャレンジすることは可能だったようで
勝者のサインを掘り込んだ岩には
似たようなサインがいくつも見受けられたそうです。
この祭典は長期に渡ったため
島内の各部族はこのオロンゴの場所に仮の住居を構え
自分たちの部族の戦士が勝つように
様々な儀式をしながらこの期間を過ごしたそうです。
今では53棟の石積みの住宅が復元されていますが
住居の入り口はとても小さく、中はかなり狭く、
膝を抱えて座った状態で寝ていたと考えられています。
入り口が小さいのは、風防と護身のためだと言われています
何しろ敵同士が隣り合わせで住んでいたのですからね・・・。
鳥人の儀式は西洋人が続々と島へやってくると同時に急速に失われ、
1866年を最後に行われなくなったとされています。
創造神マケマケはイエスキリストになり
今ではキリスト教色の強い地域になっています。
でも、島の協会にはキリスト像とともに鳥人の像も飾ってありました、
オロンゴの儀式村には、マケマケ神や、
鳥人などの岩面彫刻が500以上も存在します。
ちなみに、鳥人のレリーフは全部で162個残っており、
このことから鳥人儀式は、少なくとも162年以上続いていたものと推測されています。