今日からカウントダウンが始まりました。あと半月です。
ご報告が遅くなりましたが・・・実は日本に戻ることになりました。
親しくなったウルグアイ人のお友達と離れるのはとても寂しいけど、
やっぱり日本に戻るのは嬉しかったり・・・複雑な気持ちです。
一昨年に1ヶ月ほど東京に戻ったものの、約3年ぶりの日本。
実は既に引越しも済ませ、今はアパート・ホテル暮らしです。
マンションは2月末で契約が切れたので引き渡さなくてはいけなくって。
だから「ダンボールとの格闘」は既に完了。気楽なものです。
帰国のことははじめに家族に知らせており、
残り少ない日々を楽しむようにと言われているのですが
ウルグアイでの生活も3年を過ぎ、
良いのか悪いのかしっかりウルグアイ人化してしまったみたい。
見慣れた景色を眺めながらのんびり、のんびりしています。
最近では「お礼まわり」に精を出しています。
お世話になったウルグアイの友人たちに
帰国前にありがとうと言っておきたくって。
次にいつ会えるか分からないし・・・会えないかもしれないし。
住んでいたマンションの守衛さん、
日本語学校で出会った多くのウルグアイ人の友人たち
2年間通ったスペイン語学校の先生や同級生たち
1年目に通った大学の先生、3年目に働いたユニセフの同僚
ボランティアでお手伝いした貧困層の人々
彼らとの出会いがなかったら私の毎日は
とっても退屈なものになっていたでしょう。
そうそう・・・・
マンション探しでお世話になった不動産屋さん
お気に入りのシルバーアクセサリーの銀細工職人さん、
センスの良い木工細工を作ってくれた木工職人さん、
家電製品をいつも直してくれた修理屋さん、
洋服の直しをお願いしていた仕立屋さん
何度も通った手作りパスタの店員さん
外国人だということですぐに顔を覚えてもらえ
会うたびにいつも長話になっちゃって・・・
ウルグアイ人はとっても気さくで
「客&店員」という枠をすぐに超えて
何だか長年の友人のように懐を開いてくれました。
今回、お別れの挨拶に行くと
「またウルグアイに来てね、待っているよ」って。
ウルグアイに来たときには、夫以外の誰も知らなかった。
帰国を間近に控える今、これだけ沢山の人に
「Gracias (ありがとう)」を言うことができるのは本当に幸せなこと。
これからまだしばらくは「お礼まわり」が続きそうです。
今日は皆さんにちょっとした嬉しいご報告。
以前
こちらの記事でもご紹介したように
スペイン語の検定試験を受けていました。
2005年11月に受けた中級はお蔭様で合格しました。
(ご報告していなくってごめんなさい)
で、昨年11月に欲張って上級も受けてみたんです。
なにしろ受験料が日本よりもだいぶ安かったので
はっきり言ってダメモトではあったのですが・・・
ダメだろうと思っていたのでブログにも載せなかったし(苦笑)
で、その結果が先日ネットにUPされていて・・・なんとまさかの合格!!!
部屋中飛び回って喜んでしまいました。
本当に難しかったので、絶対に無理だと思っていたのに。
これは自分にご褒美しなくちゃね♪ うふふ。
サンバカーニバルを思う存分楽しんだ後は
イパネマビーチをのんびりと散歩したりして
リオでの滞在を満喫していました。
さすがにカーニバルの時期だけあって
以前来たときよりもずっと観光客の数が多く
海岸が芋洗い場のようだったのがちょっと残念でした。
さて、そんなイパネマビーチの水際をテクテク歩いていたら
何だかちょっと異様な光景を目にしました。
その箇所だけなぜか肉体美の男性がとても多いんです。
もともとリオでは男性の水着が小さいことで有名ですが
その箇所だけは水着は小さいばかりかとってもカラフル。
すると目の前で男性二人が手をつないで海から上がってきて
そのまま熱く抱擁を交わしキスをし始めたんですね・・・・・
驚いて目をそらした先に見えたのが虹色の旗。
ご存知のようにこの旗は「ゲイ」のシンボル。
つまりイパネマビーチのほぼ中央に位置するこの場所は
ゲイたちのための専用ビーチだったんです。
よく見渡してみると、カップルはもちろん
相手を求めて物色中の方々も沢山いました。
さすがリオデジャネイロ。
こういったことに対してとってもオープンなんですね。
あとでテレビを見たらこの時期には
ゲイ専用のカーニバルのパレードも用意されており
世界各国からゲイの人々が集まってくるのだとか。
私自身ゲイの友人も何人かいるのですが
こんなに沢山見るのは初めてだったので
ちょっと興奮気味にシャッターを切ってしまいました(苦笑)
写真がやっと準備できたのでリオのカーニバルの様子をお伝えします。
ご存知のようにカトリックでは、復活祭前の40日間を禁欲期間としていて、
その期間に入る前の数日間を開放的に楽しもうというのが カーニバルの由来。
カトリックでは伝統的に陰暦(月暦)を使用している為、
カーニバルの時期は毎年変化しますが、大体2月~3月初めの
土曜日から火曜日までの4日間となっています。
今年は2月17日から20日までで、この時期には世界中で
カーニバルが開催されますが何と言っても有名なのがリオ。
私たちがリオのカーニバルと呼んでいるものはリオ・デ・ジャネイロ市内にある
サンボドロモと呼ばれるサンバ専用の会場で開催される
サンバパレードのコンテストのことを指しています。
4日間開催されるパレードの中でも人気のあるのが日曜日と月曜日。
この日はリオ市内だけで何百とあるサンバ・スクールの中でも
選り抜きのトップクラス13チームが出場し上位を競うのです。
さて、前置きはこれぐらいにして早速当日の様子をお伝えします。
私たちは行ったのは18日の日曜日。17日の夜にリオに到着し
チケットは予めネットで手配しておき当日ホテルまで届けてもらいました。
購入したのはセクション5のチケットで全長800mの会場の真ん中あたり。
指定席ではなかったのですが早めに会場入りしたので
セクション内では比較的前の席に座ることが出来ました。
21時過ぎぐらいに盛大に花火を打ち上げパレードがスタートしました。
想像以上の規模の大きさに始めはビックリ!
ダンサーだけでも3,000人はいたでしょうか。打楽器演奏者だって200人以上。
山車も10台ぐらい出していて衣装の種類は数えられただけでも1チーム100以上。
とにかく圧倒的な迫力でした。
全身に響くような力強いリズムに最初は楽しくノッていたのですが
21時に始まったパレードが終わったのは翌朝の5時過ぎ。
しかもあたりは30度を超える、うだるような暑さ・・・。
さすがに最後のほうは座り込んでしまいました。
これらのパレード10の項目に分けられ、
1項目ごとに4人の審査員が10点満点で審査。400点が満点になります。
採点基準となる項目は以下の通り。
① BATERIA (打楽器の演奏)
② HARMONIA (リズムと歌と踊りのハーモニー)
③ SAMBA-ENREDO (テーマ曲の歌詞とメロディー)
④ EVOLUCAO (踊り)
⑤ FANTASIA (衣装)
⑥ ENREDO (パレードのテーマの筋書き)
⑦ COMISSAO DE FRENTE (パレードを先導する役員による時間の調整)
⑧ ALEGORIAS ADERECOS (山車と装飾)
⑨ MESTRE-SALA E PORTA-BANDEIRA (旗を持った女性とエスコートの男性の踊り)
⑩ CONJUNTO (パレード全体の調和)
余談ですが・・・・
このサンバのパレード、ちょっと余分にお金を払えば
パレードそのものに衣装を着て参加することが出来るんですよ。
予め申し込みをしておくとサンバ・スクールのほうで衣装を用意しておいてくれ
パレードの前に衣装を受け取り、簡単な説明を受けていざ出陣!
こういった思い出を買う観光客が落としていく外貨が
サンバチームにとっては大切な資金源だったりするのだそうです。
私たちと同じパック旅行で参加していた何人かのウルグアイ人は
帰国する際、孔雀の羽のついた衣装を大切そうに持って帰っていました。
・・・・将来使う予定あるのかな・・・・。
お久しぶりです。皆さんお元気ですか?
リオのカーニバルの写真を載せようと思ったのですが
夫のパソコンに保存してしまっていて手元にないのでまた後日・・・
さて、昨日はとある有名な歌手の コンサートに行ってきました。
一時期ほどの人気はないものの それでもやっぱり彼はビッグスター。
まさか南米の小国ウルグアイまで来てくれるとは思ってもみませんでした。
その方というのは・・・
ブライアン・アダムス
映画「ロビンフッド」の主題歌
「Everyting I do, I do it for you」を歌った人。
だいぶ前にチケットを買って 夫婦揃ってかなり楽しみにしていました。
特別ファンというわけではないのですが
ブライアンが売れていた頃の90年代前半は
偶然二人とも海外に住んでいて地元のラジオで 彼の歌を聴いていたんですね。
夫はブラジルのリオ私はオーストリアのウィーン。
ちょうど多感な時期だったということもあって
私たち夫婦にとって彼の歌はいわゆる「青春の思い出」。
ところが・・・ところがです!
コンサート当日の3月1日、 ものすごい大雨であえなく延期。
翌2日、夫は仕事の都合でどうしても抜けられず
私はブラジル人の友人と出かけたのでした・・・。
あとから聞いてみると 仕事を追えコンサート会場の近くを通ったら
ちょうど彼の一番好きな'Summer of 69'が流れていたとか。
「あの曲だけ聴ければ満足」なんて言っていたけど やっぱり可哀想だった・・・・。
コンサートの内容はものすごく良かっです。
観客をステージに上げて一緒に歌ったり
アンコールではバンドと一緒に3曲、彼一人で6曲ぐらい歌っていました。
合計2時間以上ずっと歌いっぱなし。
それにしてもあの独特のかすれ声・・・懐かしかったです!