

次に訪れたのがAHU VINAPU。
マタベリ空港のすぐ近くにあります。
ここには二つのアフがあり
それぞれNo1、No2と呼ばれています。
No1のアフの石組みはぴったりと隙間が無く、
イースター島にあるアフの中で、もっとも精巧に組まれています。
その技術の高さがインカ帝国(南米)のクスコ遺跡と似ていることから、
イースター島民の「南米起源説」の要因となっています。
また、このアフは南米ペルーを向いて建てられていることが分かっています。
しかしながら、現時点ではイースター島の人々の起源は
ポリネシアあるという説のほうが有力なのだとか。
その理由には、言語、人種、植物などが、
ポリネシアのほかの島々のそれと一致していること。
そして、アフから発掘された人骨のDNA鑑定で、
ポリネシア起源説が決定付けられたそうです。
加えて南米起源説の根拠とされた
このアフ・ビナプも年代測定の結果、
紀元後857年前後に作られたものとされ、
紀元後1000年前後にクスコに誕生したインカ文明よりも
早い段階で作られたことが判明しました。
ガイドさんいわく
「イースター島民がペルーに渡って
インカ文明を築いたのかもしれません」
これはちょっと大胆な憶測ですね・・・。
ちなみにこのアフにはモアイは載っていませんし
近くにそれらしいモアイも倒れていません。
このアフは
ラノ・ララクにある島内一の大きさ(21m)のモアイ
「エル・ヒガンテ」用なのではないかと言われています。
というのも、あれだけ大きなモアイを載せうるアフが他にないのだとか。
でも、エルヒガンテは大きすぎたため、
ラノ・ララクからついに切り出されることはありませんでした。

さてNo2のアフのモアイも「モアイ戦争」で倒され
放置されたままになっていますが
近くに興味深いモアイが一体立っています。
使われている石も、通常は「プカオ」を創るのに使われた赤い火山岩。
風化が激しく原形をとどめていませんがよ~く見ると・・・・。

そうなんです。
これ実は女性ののモアイなんです。
島で唯一だそうです。
でも、顔の部分は風化してしまっているのが残念。